チャンピアン フルトン レビュー&インタヴュー
"The Stylings of Champian"
“New York Jazz Record” Artist Feature
Champian Fulton by Marilyn Lester
日本語訳 by Hide Tanaka
ーーー「何故いつも私は女性ピアニスト、女性シンガー、女性バンドリーダーと毎回”女性”を強調されなければならないのでしょう?」ーーー
ーーー「私は自分の音楽で感じる自由さ、創造性でとても幸せです。とにかくもっと自分のバンドに集中して、それでツアーをして、常に演奏していたいのです。」ーーー チャンピアン
長いインタビュー記事ですが、特に日本の女性ジャズミュージシャンにとっては興味ある内容かと思います。
〜ヒデ
ピアニスト/ヴォーカリスト、チャンピアン フルトン本人が言うところによると、彼女のキャリアにとってこのアルバムは重要なマイルストーン(道標)となるそうです。
今回発売されたニューアルバム「The Stylings of Champian」は彼女のキャリア12年で10枚目のアルバムとなります。どんなアーティストにとっても12年で10枚とは驚くべきペースですが、33歳という年齢ではこれは凄い偉業です。
彼女は19才の時からbassist Hide Tanaka, drummer Fukushi Tainaka と彼女の父 trumpeterのStephen Fultonという固定メンバーで活躍しだしました。
そして最初のアルバムは21才の時です。
「私は最初のレコーディングは絶対に21才で、って決めていました。」彼女は言います、「なぜって、それは私にとって成長と変化の時期、”大人の女性”へと移り変わっていく年齢だったからです。」
おそらく彼女の早熟さは、ある部分理想の環境に生まれたからでもあるのでしょう。
彼女の父親はジャズの教育にも演奏にも優れ、それによって娘を鼓舞し続けたのでした。
彼女の持ち前の音楽的才能が開花すると共に、彼女はジャズに焦点を合わせるようになっていきました。
またクラーク テリーのような人物が常に近くにいたということも、素晴らし事に違いありません。(彼女の父はClark TerryのJazz Campを共同で管理し、ワークショップ、フェスティバル、時にはClark Terry International Institute of Jazz Studies at Westmar University in Iowaの監修もやっていました。)
チャンピアンのプロとして初めてのギグは10才の時、クラーク テリーのバースデー パーティーでした。
「クラークは私の形成期にとってとても大きな影響を与えてくれました。」チャンピアンは思い出します。「彼は決して遠回しな言い方はせず、いつもストレートでためになる批評を私に与えてくれました。でもほとんどはその頃の私の理解を超えたものでしたけど。」
「クラークは色々な事、ステージでどうやって存在感を出すか、ステージの上でも、下でもどうやってお客さん達とふれ合うか、もちろん音楽の技術面、リズムの事から呼吸の仕方、それに加えて、どういうやり方でバンドリハーサルをするか、などたくさんの事を教えてくれました。しかもそのうえ、ジャズのビジネス面の指導もしてくれました。」
彼女のバンドについての思い。
「最初にフクとあったのは2002年、彼がルー ドナルドソンのバンドで演奏していた時で、私はすぐに彼の演奏に惚れてしまいました。」
その最初の出会いのすぐ後チャンピアンはニューヨークに出てきます。
「私は本当にフクと一緒に演奏したくて、しつこく彼にまとわりついていました。その時のベーシストはヒデ タナカです。そして私達はすぐにバンドとして意気投合しました。私達は同じような音楽的感受性と考えを持っていたので、一緒に演奏するという事がとても楽しかったのです。」
彼女はメンバーみんなで長年かけて成長し、変わって行くという「成長と変化」がとても素晴らしい経験であったと認めています。
彼女はこう語ります、
「私は残念に思う事があるのです、それはほとんどの人達は気の合うメンバーと何年も共に演奏し続ける事はあまり無いということです。しかもそれが10年以上も続くなんてなかなかありえません。しかしそれでは本当に音楽的にも人間的にも合う人達と、お互い変化しながら成長して行けるような経験ができません。」
チャンピアンは2000年あたりから父親と演奏しています。彼はこの「The Stylings of Champian」14曲中の7曲に参加しています。
「父がカルテットのために作曲したRodeoは今回のレコーディングの中でも気に入った曲のひとつです。」
チャンピアンにとって演奏と歌のバランスは大切なので、この曲のようにバンドをフューチャーした、メンバーが気に入っているインストルメンタルの曲を演奏する事も彼女の大切な目標です。
「このレコーディングでは少し自由に冒険できたおかげで、いつもよりエキサイティングな仕上がりになっています。何の束縛も無く自由に自分自身を表現出来るレコーディングは素晴らしいです。」
彼女のお気に入りのミュージシャン、ピアニスト逹はたくさんいます。
しかしその中でもまず若い時の彼女に多くの影響を与えたのはRed GarlandとErroll Garnerでした。
「私は彼らのブロックコードとメロディーの歌い方を愛しています。彼らの音楽的表現はとてもハッキリしていて、とても正確です。そんなところが多くの人々を惹きつけるのだと思います。」
まだその頃生きていたミュージシャンとの思い出もあります。
彼女がニューヨークに住み始めた2003年、彼女はよくCedar Waltonを聴きに行って、彼からとても助けになるアドバイスを受けていました。
「私は18歳の誕生日の時CedarがJimmy CobbとBuster Williamsとで演奏しているのを見ました。私の人生で最高の夜でした。」
チャンピアンはとても興味深い話をCedarの未亡人Marthaから聞いた事があります。
それはCedarがDuke Ellingtonと是非一緒に演奏したかったのだけどできなかった、という話。
それについてチャンピアンも同じような自分の経験を思い出します。
「私はとてもCedarのバンドにシットインしてみたかったの。でもさせてくれなかった、だって彼のバンドのリーダーが彼自身、ピアニストだったから!(笑)
でもCedarはそんな私を本当に面白がっていました。二人とも演奏する事が好きで、いつも活動していたかったから、、、彼の事はいつも思い出しています。」
今や彼女は注目すべき「歌手兼ピアニスト」逹の系列を継ぐミュージシャンですが、過去にはピアノに集中するため、歌をあきらめかけた事がありました。
彼女は子供の頃から歌っていました。それはただ楽しかったからです。
子供の頃の彼女は一枚のレコードの全てから、その歌やソロを覚えました。
「Clarkは車の中や家で、私が歌う歌や、楽器のソロを歌う私をとても面白がって聴いていました。」
現在彼女はピア二ストと共に歌手であるという決意をしていますが、メインはやはりピアニストという気持ちだそうです。
その時の気分にも左右されるそうですが、
「私はピアニストとしてだけのギグはするけれど、歌手だけとしてのギグはしたくありません。歌だけでいこう、って思った事は決してありません。」
彼女の声はとてもスムーズで洗練されていて節回しも素晴らしい。とにかく彼女のジャズに対する直感は彼女のDNAに深く埋め込まれています。
おもしろい事に彼女は歌手のモノマネをしていた子供の時から、その歌手が男であるか女であるかを気にした事はありませんでした。
その直感は彼女の哲学になりました。
「私は音楽に性別は関係無いと思います。」
彼女はそれを強調します。
「ジャズ世界の女性についての考え方ですが、過去そして現在を見渡して”女”を特別に強調する風潮が私はとても嫌いです。」
彼女はパフォーマーとして、またリーダーとして今までにやってきた事に対してプライドを持っています。
「男、女、関係無くどういう仕事をしてきたかが一番大切な事です。
何故私も普通の男のミュージシャンのように単にピアニスト、歌手、バンドリーダーとして紹介されないのでしょうか?
何故いつも私は女性ピアニスト、女性シンガー、女性バンドリーダーと毎回”女性”を強調されなければならないのでしょう?
いつの日にかこの音楽の世界で女性が何か変わった不自然な存在で無く、当たり前になっている、そして、いちいちこんな話をしなければならない日が早く終わるようにと思っています。」
「将来も今のように続けていきたいと共に、教育に対しても関わっていくつもりです。(彼女はLitchfield Jazz Camp and Rutgers Jazz Instituteに関わっています。)
私は自分の音楽で感じる自由さ、創造性でとても幸せです。
とにかくもっと自分のバンドに集中して、それでツアーをして、常に演奏していたいのです。」