Champian Fulton

Jazz Pianist and Vocalist

"Mondays with Morgan: Interview with Champian" Japanese Translation

Mondays With Morgan: Pianist/Vocalist Champian Fulton (new album ‘Meet Me at Birdland’)

ON 10 APRIL 2023 Original version here: London Jazz News, Mondays with Morgan

Mondays With Morgan は、ニュージャージー州ハッケンサックを拠点とする音楽ジャーナリスト、Morgan Enos によって書かれた London Jazz News の新しいコラムです。 彼は、自分を感動させるジャズを深く掘り下げます。彼の主な興味はニューヨークジャズシーン。

今週、Enosはニュー アルバム『Meet Me at Birdland』をリリースしたばかりの、ニューヨークジャズシーンで重要視されているピアニスト兼ボーカリスト、チャンピアン フルトンと話をしました。

高く評価されているジャズ ミュージシャンにとって、タイトルに「Birdland」が含まれるアルバムは自らの自信を証明しているようです。そして我々はこの栄光あるニューヨーク市のジャズクラブでの親密でくつろいだライブ演奏を聴く事ができます。

しかし歌手でピアニストのチャンピアン フルトンにとって、ジャズクラブはただの「部屋」ではありません。この4 月 7 日にリリースされた彼女のニューアルバム『Meet Me at Birdland』はクラブそのものが独特で強力な存在であり、その「部屋」自体が楽器そのものとなっています。

クラブ オーナーのジャンニ ヴァレンティによる心のこもった歓迎の挨拶から、この「部屋」独特の音響、トリオのメンバー同士、そして観客達の間に起こる「響き流れ合う電磁波」がそれ自体お互い共鳴しあい、今回のライブレコーディングにとって絶対不可欠な要素となっています。

この世界的に名声のあるジャズコーナー、バードランドでの演奏だけでも、彼女はたくさんのインスピレーションを受けることができたでしょう。

しかし、彼女はこのクラブの深いジャズの歴史も楽しんできました。

「ここで私はルー ドナルドソンやフランク ウェスによく会いました。 また私はここでポール モチアン(黄金期のビル エヴァンス トリオのドラマー)と演奏した事もあります」と彼女は語ります。

しかしそれら彼女の形成期にした経験はバードランド、ニューヨークでの20 年の歴史のほんの一部にすぎません。

44丁目のランドマーク、バードランドでフルトンと彼女のオリジナルメンバーであるベーシストのヒデ タナカ、ドラマーのフク タイナカは絶えずお互いに芸術性を磨いてきました。 そして、「Too Marvelous for Words」「Just Friends」「I Only Have Eyes For You」までのインスピレーションに満ちた演奏を聴くことにより、我々は彼女とメンバー達の止まることのない発展の証人となることができます。

全体として、『Meet Me at Birdland』は、これらのミュージシャン同士の親交と、彼らが長い間演奏し続けてきた場所から生じるある種の集大成的な音楽を聴けるアルバムとなっています。

このインタビューで彼女は、バードランドでの歴史、バンドメンバーとの親密な関係、20 年間にわたりニューヨーク ジャズシーンで安定した確固たる地位をどのように維持してきたかについて話しています。

London Jazz News(LJN): バードランドとの関係はどのようにして築き上げたのですか?

 Champian Fulton(CF): うーん、それはちょっと面白い話なんだけど2003年にこの街に来た時、私はまだ17歳でした。 私の誕生日は9月で8月に来たんです。 バードランドは私が最初に行ったクラブのひとつで、バスター ウィリアムズを聴きに行きました。そしてちょっとぶりっ子な感じで「私チャンピアン、オクラホマからこちらに出て来たばかりなんです!」ってメンバー全員に自己紹介しちゃったんです。笑

当時のマネージャーの名前はタリクでした。 彼は現在、Smoke (マンハッタンのジャズ クラブ)で働いています。  

タリクは、「そうそう、君ピアノ弾くんだよね。 クールだね!」そしてこう言ったんです。「うちのクラブ6時から8時までのハッピーアワーに演奏してくれる人を探しているんだけど君それできる? 」

私は自信を持って「はい」って言いました。笑

そんなわけで私とバードランドの関係が始まったんです。

そしてそのギグを始めた事で最も良かったのは、私は誰とでもみんなと知り合いになり、いつでも顔パスでバードランドに入れるようになった事でした。

 LJN:あなたが演奏した他のスポットとバードランドとでは何が違うのですか?

CF: そうですね、私がバードランドで見た全てのショーが素晴らしかった事です。その時私はニューヨークに引っ越して来たばかりで、あまりお金を持っていませんでした。まだギグも無くて学校に通っていました。 でもバードランドにはいつでも行けました。 オスカーピーターソンを見ました、ジョアン ボスコも見ました。。。

 

LJN: ピーターソンを見たって?!

CF: はい、見ました。彼が亡くなった年2007年でした。 彼は本当に元気ではありませんでした。 片手が不自由で、車椅子に乗っていました。 

でもジャンニ(オーナー)がバードランドにオスカーを迎えた、それは大きな契約でした。 チケットは、最前列で 200 ドル、バーで 100 ドル。それでも店のあるブロックの周りには列ができていました。

私その週はバードランドでの演奏はなかったと思います。 それはオスカーが自分用の特別なボーゼンドルファーを運びこんでいて、彼は他の誰にもそれを演奏して欲しくなかったからです。 

彼はとてもスウィングしていて、たとえ片手だけでも多くのピアニスト達をしのいでいました。 彼らは良い曲を演奏し、またバンド自体も素晴らしくて、正直、私は泣いてしまいました。

LJN: ニューヨークでの20年間で、これがあなたのバードランドで録音された最初のアルバムですね。 なぜ今がその時だったのですか?

CF: 私の最初のレコード、David Berger と Sultans of Swing とのChampian Fulton は、ビッグバンドのレコードで2007年にリリースされました。それはスタジオレコーディングでしたが、毎週火曜日にバードランドで演奏していたことがきっかけでバードランドでCDをリリースしました。でもバードランドで録音されたわけではありませんでした。

今回のバードランドでのライブレコーディングについてですが、私には長年このバンドでライヴ録音をしたいという思いがありました。それは当然の選択のように思えましたが、何らかの理由で、私はオーナーのジャンニはノーと言うだろうと思っていたんです。どうしてなのか自分でも分かりませんけど。。。

でもとにかくきいてみる事にしたんです。すると彼は、

「ダメだ!。。。

。。。でももしかしていい考えかもなぁ。。。

。。。とにかくやってみるか。。。」

私は、「まって、本当に? それはYesっていうこと?」 笑

それはただの我々の思いつきのような感じから始まり、そして挑戦的なアイデアとなっていきました。

LJN: なぜ彼はノーと言ったのですか?

CF: 彼がなぜ最初にノーと言った理由はわかりませんけど。。。

とにかく私にとって、バードランドでのライブとは、ルー ドナルドソンとクリフォード ブラウンのこと。また歌手のジョー ウィリアムズも思い出します。そして50年代のカウント ベイシー バンド。

私はそれら自分の究極のヒーロー達のことを考えてしまいます。究極のジャズ名盤の数々、それらはみんな重要なレコードです。 

そして、そのリストに私を追加するという考えには、おそらくオーナーのジャンニはノーと言うだろうと思っていたのでした。

案の定、最初はノー。。。しかし結局彼はOKを出してくれました。

私はそれについてルー(ドナルドソン)に話しました。 本当に興奮して熱くなって「ルー! 私、あなたやクリフォード、アート・ブレイキーと同じように、ライブ アット バードランドのアルバムを作るのよ!」って言ったんです。

LJN: たとえ場所が何回移転していても、ブランド名は依然として途方もない重みを持っていますからね。

CF: ええ、そしてそうあるべきだと思います。 とにかく私にとって、それは記念碑的な出来事のように感じました。

 LJN: クラブの物理的環境について、どのような点が気に入っていますか? ステージでの音はどうですか?

CF: この録音は地下の「バードランド シアター」での演奏で、そこの響はとても素晴らしいです。

私たちは非常にアコースティックな環境が好きで、私はバンドの音量とダイナミクスをちゃんとコントロールしたいんです。

「バードランド シアター」では、それが本当に上手くできるんです。

ピアノも良いし、「部屋」の雰囲気もとても暖かく、見晴らしの悪い場所が無いんです。

一階の「バードランド クラブ」はとても大きいので、ピアニストの私の場合、後ろにもたくさん人がいたりして、あらゆる方向にジェスチャーしなければなりません。まるでどこかの競技場にいるような気分になります。 それに比べ地下の「バードランド シアター」はより親密な雰囲気があります。

LJN: ピアニストとして、あなたはエロール ガーナーと比較されてきました。 そしてこのレコードには確かに、他の多くのアーティストからはあまり聞いたことのない、荒々しくブギウギな感じがあります。  『Meet Me at Birdland』は、そのアプローチを統合したような感じで、そういう音楽への気持ちを込めたラブレターのようですね。

CF: その気持ちはバンドにも大きく関係しています。

私達は2004年から一緒にプレーしていて、私は彼らと一緒に自分自身を成長させてきたし、また皆んな一緒に成長したと本当に感じています。そしてステージではそれを見せびらかすわけではないのですが、我々は本当に多くのレパートリーを持っていて、いつでも何のためらいも無く色々な曲を演奏できるんです。フクとヒデは私がどこへ行ってもついて来るし、私も彼らがどこへ行ってもついていけるんです。

そんな感じで演奏している時って皆んなとても気持ちがよくて、それがこのライブ レコードを作成するひとつの原動力になったわけです。特にこのメンバーのバードランドでの演奏をドキュメントという意味も込めて残しておきたかった理由は、私の他のスタジオ録音のアルバムや他のライブ レコードのサウンドと、このトリオとでは全く違うからなんです。

 LJN: それがあなたの他のアルバム「 Live from Lockdown 」という非常にインティメイトなレコードと、このアルバムがお互いに均衡をとりあっている明白な理由だと感じます。

CF: このレコードは、私にとっての素晴らしい記念日のお祝いとなる、という考え方で制作に取り掛かりました。 私のバンド、バードランド、そしてニューヨークでの20周年を祝うために。コマーシャルな意味というよりよりも芸術的な意味で私の成功を祝うためにです。それはとても大事な事だと思っています。 

いつも私達ミュージシャンは一生懸命頑張っているし、そしていつも言っている事ですが、ギグをめぐって争っている。。。そんな事を今週私は多くの友人達と話していました。

ただリラックスして座りながら「うわー、それ最高! 素晴らしいことができて、満足感や達成感を感じるわぁ〜」 、なんていう気持ちになれるのってそんなザラにある事ではありません。でもそんな気持ちになりたくて私はこのライブアルバムを企画しました。激しい競争にドップリと浸かりすぎていると、そういう創造的な満足感に浸る事はあまりできないからです。

LJN:ヒデ タナカのベーシストとしてのあなたの評価を教えてください。

CF: 彼はアンプの音をよく生かしたサウンドが特徴です。最近では多くのベーシスト達はガット弦を弾いて本当にアコースティックなサウンドを求めている人が多いので、彼のような音のベーシストはあまりいません。でも私は個人的に70年代のバスター ウィリアムズやロンカーターのサウンドが本当に大好きなんです。

もちろんポール チェンバース、サム ジョーンズ達の昔のガット弦サウンドも好きですが、私はやはり70年代の雰囲気が好きなんです。 

私のお気に入りのレコードの多くは、その時代の Pablo のものです。めちゃスウィングしていますが和声的、概念的にはかなり自由な素晴らしいミュージシャン達、いわゆる「スイングレコード」とは隔たりがありますけどね。

これは私が以前サド ジョーンズについてのインタビューで話しましたが、それがとにかく私にとって欲しい音なんです。 彼はカウント ベイシーという「めちゃスウィング」する伝統的な価値観の世代から出てきました。しかしいくつかの和声的に斬新な音楽を目指しました。もちろん常に「めちゃスウィング」は忘れる事無くね。

それらの音楽のやり方はヒデ、フク、私達3人が大好きなところでもあるんです。

 LJN: フク タイナカのドラミングについては?

 CF: 彼のドラミングが大好きです。 彼は常にスイングしているけど先入観に過度に縛られていません。そういう理由で彼は現在最高のドラマーの1人だと思います。

これは、今回レコーディングした「Evenin'」 を聴いてもらえば分かります。

この曲は1936 年のカウント ベイシーのレコード「Evenin'」がオリジナルです。これはレスター ヤング初期の録音のひとつです。 ですから「私が『Evenin』を演奏します。ベイシーの曲です」と言うと、皆んな自動的にこのオリジナルレコーディングを思い浮かべ、そのように演奏しようとします。しかしフクはそうじゃなく自分は自分らしい「Evenin'」を。みたいな感じになります。そういうところが私がとても好きな事のひとつなんです。

どんな曲でも彼はとてもスウィングするし、また私は彼のシンバル サウンドが大好きなんです。 そして今回の録音の質が彼のそのサウンドを際立たせているので私はとてもハッピーです。

 LJN: あなたにはたくさんのレパートリーがありますが今回の選曲はどのようにしたのですか?

CF: 私達は計画もセットリストも何も持たないようにしているんです。とにかくバードランドでの4日間、木曜日から日曜日、そのうちの木曜日を除いた3日間(6セット)を全て録音しました。

最初からこのアルバムに入れたいと思った曲がいくつかありました。  まず「Just Friends」のライブバージョンが欲しかった。  「I Don't Care」を入れたかったのは、私たちのお気に入りの曲のひとつで、今まで録音したことがなかったからです。  「I Only Have Eyes For You」のライブバージョンも本当に欲しかったんです。

しかし、それ以外に計画はありませんでした。 その時演奏したいと思った曲を演奏しただけです。 

私は「今夜の気分はどんな感じ?」ってメンバーにきいてみます。

それで『Theme For Basie.』にしよう、とか「Happy Camper」、っていう感じでステージを進めて行ったんです

でも 「I Didn’t Mean a Word I Said」は、私がこのメンバー達と演奏した事がある曲では無く、それについて私はメンバー達に何も話していませんでした。でもちょうど我々がステージに上がる時、私の友人のアビが話しかけてきて、「I Didn’t Mean a Word I Said」は君のデビューアルバムに入っていた曲なんだから、このライブレコーディングにも入れるべきだよ。20年前の曲との再会だ! 」って言うんです。

で、私「うわー、それはいい考えだ」と思ったわけ。

そして我々は皆んなもうステージの上でしたが私はヒデに「ハイ、この曲に挑戦してみましょう。キーはBフラット!さぁ、行くわよ!」と言いって初めてしまいました。

何が起こっているのかわからない彼らにとって、その曲はとても素晴らしいバージョンとなりました。 彼らが本当に私の一音一音に耳を傾け、ついてくるその空間での彼らの音を聞くのが私はとても楽しいんです。

そして最後に入っている「It's Been a Long Long Time」は、最終日の日曜、その最終セットで演奏した本当に最後の曲でした。

LJN: 自分自身のレコーディングをしている時に、自己批判的になる事はありますか?

 CF: (シリアスな表情になり)ええ。

 LJN: 最悪って思ったり?

 CF: それほどではありません。何故なら私が幼い頃、ミュージシャンとしてステージに上がったばかりの頃、クラーク テリーと私の父 (トランペッターのスティーブン フルトン)が私に言った事があります。「ジャズミュージシャンは他人が言う雑音に気持を揺さぶられなくていい。そんな気持ちなど存在しないと思いなさい。どんな批判をされたとしても泣いたら負け。ある人は君を批判し、動揺させることもあるでしょう。そんな時君は『あなたはなんて意地悪なの!』と子供の泣き言を相手に投げつけるでしょう。 でもそんな感情は必要無いんだ」。

そう言われていたからです。

ですから今でも、自分自身に批判的に耳を傾けても私は動揺しません。そんな感情は無いからです。

そんな時は、こうすればもっと良かったかな?ここを修正する必要がある!。。。そんな感じかな?笑

LJN: 『Meet Me at Birdland』では、ボーカルとピアノの力のバランスがとても良いですね。 どちらにも偏りすぎることはありません。 パフォーミング中に瞬間的に意思決定をしているんでしょうね。

CF: それはここ数年を通して起こっていることなんです。ボーカルとピアノの間を行ったり来たりしながら、細かな部分ともっと総合的な部分の結合みたいな感じでね。たくさん歌いたいという気持ちと、もっとピアノをプレイしたい、という気持ちの間を行ったり来たりしていたんです。

私はとても迷い、もがいていました。というのはある夜は本当にピアノが弾きたくて、ただピアノを弾き、もっと長い間ピアノを弾きたいので、ピアノの曲の後にまたピアノ曲を演奏しました。 

そして、ああ、これに変化をつける方法は、歌だけの短いボーカル曲を何曲かセットに散りばめることだと思いました。そうすれば人々はたくさん歌を聴いているように感じると共に、私は私で10分間ピアノに集中した演奏ができます。

ですから「I Only Have Eyes for You」、「I Didn’t Mean a Word I Said」、「Just Friends」などは歌だけで短く終わるアレンジとなっているわけです。これらの圧縮バージョンの意味は分かりますよね?

LJN: あなたの視点から、最近のボーカルジャズ市場の状況についてどう思いますか?

 CF: それは今も昔も。。。(躊躇し、顔をしかめる)混み合っています。

 LJN: うーん。

CF: まあ、素晴らしい歌手には事欠きません。 ラジオ スペースを争っている場合、確かに、ほとんどのラジオ局は 1 時間に2 、3 人の歌手の曲しか放送できません。 事実上、毎週いったい何枚の歌手のレコードが出てくるのかを考えると、もちろんそれ以上は無理ですよね。

私は自分自身をピアニストであり歌手だと思っています。同時に両方だと考えていますが、ビジネスの世界では人々は私を歌手と考えていることを知っています。しかし、私はいつも自分自身についてそう考えているわけではありません。

私がギグを取ろうとした時、彼らが「ああ、あなたは歌手だね」と言った場合、私は「ええ、私は歌いますが、ピアノトリオでもあります。またはカルテットやその他色々と何でも」

彼らは「歌手の年間スロット数は非常に少ないんだよ」と言い、私は「OK、でも。。。」

不思議な市場ですが、ずっといる事ができてよかったと思っています。20年、それが 長いのかそれほど長くはないのか、でも20年は20年、私はまだここに立っていることを喜んでいます。

LJN: どのようにしてその勢いとスタミナを維持してきたんですか?そしてその方法は?

CF: 私は自分がやっている事が大好きです。そしてそれこそ自分が本当に集中しなければならない事だと思います。

COVID後のこの奇妙な時代、多くの人が非常に落ち込んでいます。なぜなら過去数年間は非常にストレスが多く圧倒されてしまった。疲れた。もう何もやりたく無い。。。現在多くの人がそんな状態になっています。。


 LJN: 本当ですか?

CF:ええ、私が話している人々からそう感じました。 

普通の時でもギグをもらう、レビューをもらうというのは難しいのですが、私はずっとそれをやってきました。

しかしおそらくCOVIDのせいで、今はますます難しくなり、人々は疲れているように感じます。

これは私が人々に、そして自分自身にも与えているアドバイスですが、商業的な成功や、いわゆる商業的成果はあまり価値は無いという事です。

そういうのは常に移ろい動き一時的で、あまり意味がありません。 

大切なのは私達は自分の芸術的目標をどのように達成しているのか、その事についてからのみ本当の満足感や達成感を感じなければなりません。

それが私にとって今回のこのレコード作成の本当の目的です。 こんなに長く一緒にバンドを続けられている事をとても幸せに思います。 レパートリーが多いこと。 一緒に成長してきたこと。 私達は一緒に演奏するのが大好きです。 それらは私にとって心地よいものであり、それをこのアルバム制作で強調したかったのです。

私は長いキャリアを持つ私の友人を思います。 長いキャリア、ルー ドナルドソンのキャリアは、70年にも及んだ挑戦と前進の偉大なる成果です。すべてのギグ、すべてのレコード、または人生のすべての時期が最高であるとは限りません。

しかし、あなたがジャズ ミュージシャンならば、あなたはジャズミュージシャンであり、ジャズ ミュージシャンであり続けます。 それ自体で満足できるはずです。

© Champian Fulton